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胎児よ胎児よ

……ブウウ――――ンンン――――――ンンンン……。 88です。夢野久作の『ドグラ・マグラ』読みました。何でも読むと一度は精神に異常をきたすらしいです。おぉこわいこわい。

 個人的な感想なんですけど、この小説は「構造」というか作り方が面白いと思いました。メタフィクションとか枠物語ってやつなのかしらん?
 上手く言えないんですけど普通、小説って小説の中で世界が終わる物ですよね。カッコよく言い換えると「本の中に閉じ込められた世界」が存在していて、ソレを読む。
 けど、この本の面白さは本の中に世界が閉じ込めきられていないって事なんですよね。他にそういったものを感じる小説の例を自分が知ってるヤツで挙げると泡坂の「『しあわせの書』とか乱歩の『屋根裏の散歩者』が挙げられるかな?
 『屋根裏の散歩者』で例示すると(有名だし今更ネタバレしてもそこまで被害も無いだろうと判断して)、これは郷田三郎が覗き趣味を発揮して他の住民の普段見せない顔を覗き見していくうちに覗き見の対象を殺したくなって殺して、その後、今度は殺人後の自分の挙動不審を明智小五郎に覗き見されてってだけの内容なんですけど、ココで考えたいのは「見る」と「見られる」の関係なんですよね。
 『屋根裏の散歩者』は郷田が他の住民を覗き見して、他方他の住民はそれに気付かないわけだから、郷田→他の住民ってな感じで視覚は一方的なわけなんです。けど最後の最後に実は明智→郷田って感じで今度は郷田が見られている側に回っている。
 ただココでもうチョット踏み込んで考えると今度は読者→明智&郷田って感じの図式が成立すると思うんですよ。要するに明智や郷田の事を一方的に読者の側が「覗き見」しているって関係も成り立ってると考えているわけです。
 もっと踏み込んで…。仮説に仮説を重ねちゃってる感もありますけど、それならば今度は「読者以外の誰か」→読者→明智&郷田って図式だって成立する可能性もあるわけです。「読者以外の誰か」ってのは別に人間だろうが神様だろうが宇宙人でも四次元人でも何でもいいです。、「見る」という事を行っている主体ならば何でも。
 簡単に、と言っても抽象的かもしれないけど、『『屋根裏の散歩者』を読む人間の物語』って感じかな?それが成立するわけで。
 そう考えると面白いと思うんですよね、マトリョーシカの如く物語の中に物語が存在して、しかもその物語を内包する物語もまた何かの物語に内包されているって状態。
 『ドグラ・マグラ』とか『しあわせの書』もそういった系統、つまりは読者自身も物語の中に巻き込まれちゃう本なんだと思うんです。
 と、まぁココまでキモヲタの如く興奮気味に読書感想文書いたわけなんですけどドグマグ読んでイカレたのかしらん、ボク。
 ま、元からアレか。

 今回の更新絵は前回の続きで幽香様と天子の絵です。
ふみふみ

  ちょっと前回の絵の構図気になったんで描き直しです。まぁ…パースなのかな?やっぱそこら辺の事をサボったツケ払っていかなアカンですね。あとブログだと貼れる画像のサイズ結構限られちゃうなぁ、仕方ない事ですけど。
 大き目の画像はピクシブに貼って、こっちには小さいのって感じで前回今回は対処です。
 本当はボクが踏まれたかった。
 先のことは判らないけど、とりあえず今のトコは東方で固めはやらない気がするなぁと思ってます。
 本当はボクが踏まれたかった。

以下雑記
……ブウウ――――ンンン――――――ンンンン……。
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